NEVER GIVE UP! 海外でパイロットへの道 IN NEW ZEALAND
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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡

 第10話 International AVIATION ACADEMY 最後の日



 最後に飛んだ学生は、私がリクルートした学生で、私は彼のPPLとCPLのステージ毎のチェックライドと双発計器飛行の担当教官をしていた。

PPLの頃は、決して操縦の上手な方ではなく、かなり苦労して飛んでいる印象だった。失敗したフライトを徹底的に分析し、後日必ず私に聞きにきていた。

そして、彼はチームワークプレイヤーで日本人・他国の生徒ともうまくコミュニケートしていた。

そして最後の双発計器飛行。

最初はあんなに苦労して飛んでいたのに、今日は良く整ったフライトをしていると感心した。
彼の日ごろの努力の結果が、ちゃんと飛行に現れていた。

それから訓練を終え、日本へ帰った彼は、JAL系列航空会社のB制度を受け見事合格。

彼の合格は、自分の事の様に嬉しかった。
(これから訓練が始まり、FOとしてチェックアウトするまで気の抜けない日々が続くが、彼なら大丈夫だろう。)


彼は最初のコンタクトから入学するまでに約3年間を要した生徒だった。

最初、視力の事で悩んでおり、自分がパイロットになれるのかかなり心配していた。

あと、仕事を持っていたので、それを辞めてまでパイロットを目指しても、就職保証はないし、今の安定した仕事を辞めてまで、やるべきものなのか?・・・・・という考えも持っていた。

私には、彼の様に社会人が、会社を辞めてまで、夢を追いかけ、「本当にパイロットになれるのか?」という不安な気持ちを非常に良く理解出来る。

なぜなら自分も10年前は同じ気持ちだったからだ。

彼の様に社会人として一働きも二働きもしてきた人達に対し、私は「すぐに始めないと間に合いませんよ。」と無理強いはしない。

それは、社会人に対するリスペクトもあるし、彼らには彼らの事情がある事も理解できるし、自分の姿を重ねてみてしまう所があるからだ。

それでも私は一歩前へ踏み出した。そして10年やってきた。
その経験談をお話する事で、彼らの思っている不安が少しでも取り除けるなら・・・という思いからメール相談を行っている。

もちろん学生や親御さんからの問い合わせもあるが、私は特に社会人の方に頑張ってもらいたいと思っている。






さて、話を戻します。

IAANZでの最後の飛行が終わり、その日が金曜日ということもあって「今日は学校併設のバーで皆で飲むぞ!」と思い、わくわくしながら学校へ戻ったら、誰も居なかった。

「何だよ。俺の最後の日に誰も居ないなんて、何て薄情な奴らなんだ・・・・・」と寂しくしていたら、携帯に仲間のインストラクターから着信があり、「町に飲みに行こう」と言われた。

駐車場に行き、車に向かって歩いて行くと、私の車が変な光り方をしていた。

???と思い、車に近づくと、私の車がでっかいサランラップの様なものでぐるぐる巻きにされ、その上から、ピンクやら黄色やら黄緑色のスプレーで落書きがしてあった。

指定された店へ行くと、驚いたことに、そこにはそういう集まりには絶対参加しない2人のボスを始め、インストラクター全員が集まっていた。そうサプライズパーティだったのだ。

「Congratulations!今までよくやってくれた。有難う。乾杯!」
ボスの音頭で飲み会がスタート。

皆におめでとうのハグをされ、頭からビールをかぶせられたり、もみくちゃにされた。

最後に色紙とウイスキーをもらった。

こういう送別会をやってもらえる程、彼らに溶け込む事が出来た事は、私の人生の宝物になった。

パイロットになるのに10年。

周りより遥かに時間がかかってしまったが、無駄ではなったのではないだろうか?


終わりよければすべて良し。

今まであったいろんな嫌な出来事・辛い事が良い思い出になったと思う。

これから新しい環境になり、新たな挑戦・困難が待っているだろうが、諦めずに頑張ろうと思った。
そうIAANZで頑張ってきたように・・・・

                                            
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