第14話 機長訓練 2011年
訓練は大きく分けて4つあった。
@通常運行
A単独故障のハンドリング
B複数故障のハンドリング
Cコンポジット故障のハンドリング
@とAは、副操縦士の間にたくさん練習していたので問題はなかったが、BとCが非常に苦労した。
何が起こったのかを解決する為に、副操縦士・地上スタッフ・エンジニアとコンタクトを取り、自分が出来る事のすべてを使って問題を解決しなくてはいけない。
地上で考える分には冷静に頭が働く。
トレーニングでは2度と同じシチュエーションで、問題は発生しない。
毎回違う設定でトラブルが起こるので、事前に用意する事は不可能になっている。
AVIATE・NAVIGATE・COMMUNICATIONが大原則なのは変わらないのだが、これおおざっぱすぎて・・・・
flying your aircraft is firstとはよく言われるが、それも十分理解しているし、古代の昔からこの大原則は変わらないだろう。
例えば、離陸直後に発動機の一部が故障し、目的地のローカライザーにインターセプトする直前で、反対側のエンジン系統に異常が発生し、しかも燃料が噴出している想定で燃料のヒュームがキャビンに流れ出しているものとする。
こういう場合、原因を考え、着陸するのか、ダイバートするか、それともホールドするか、とベストな判断を自分でしようとしてしまうが、自分一人で責任を感じて問題を解決する必要はない。
副操縦士に相談し、意見を聞いて、今自分達に出来るオプションの中から最適なものを見つけて、それを行なっていけばいいのだ。
訓練中は毎週テストがある。
本番の機長昇格テストまで6回テストがある。
トレーニングの飛行回数は決まっているので、一度テストに不合格になると、その後の訓練が短くなってしまう。
つまり、テストを落とせば落とすほど悪循環に陥る。
このテストに合格できなかった為に本番の昇格試験に辿り着けない人もたくさんいた。
実は私も一度落とした。
それは、複数の故障を想定したテストの時だった。
なんとか無事問題をクリアして最終進入まで来たが、ここで問題発生。
しかもゴーアラウンド出来ない(ホールドも出来ない)想定だった。
問題を解決する方法は、着陸してからしかできなかったのに、私はその問題に頭が固まってしまい、GPWS(航空機が着陸ギアを出し忘れていると警告するシステム)が鳴るまで、ギアを出すのを忘れていた。
テストではGPWSの警告が出た時点でアウトだった。
翌日に再テストがあったが、一度テストに落ちた事で、気持ち的に吹っ切れるものがあり、前日の様に、頭が真っ白になることはなく、無事合格した。
最終試験前に、LOFTに臨んだ。
これはシュミレーターを使用したもので、相方は同時期に機長試験を受けるパイロットで一緒に操縦するのは初めてだった。
交互に副操縦士と機長の役割を変えて、操作を行った。
ここでは特に、ワークロードのマネージメントを中心に教わった・・・と言いたい所だが、初めから出来て当たり前というスタンスである。
これは自分なりに以前体に染み込ませていたので特に問題はなかった。
如何にシットバックし、大局が見れるようにするかが問題なのだ。
その上で誰が操縦桿を握るか決定する。
通常は副操縦士に操縦桿を渡したほうが、メンタルキャパシティーの観点から必要だが、副操縦士のキャパシティーにも大きく左右されてしまう為、どの程度出来る副操縦士なのかをよく把握しておく必要がある。
だが、AIR New Zealandのパイロット達は最低でも1500時間以上の飛行経験があり、IFR・PAX Interface・2マンクルーコンセプトは既に持った状態で入社してくるので、彼らに安心して操縦桿を渡すことが出来る。
LOFT中は、解決が難しい問題を課題として与えられたが、二人で色んなオプションを出し合い、無事クリア出来た。
評価も自分でも満足出来るものであった。
LOFTの翌日、最終機長試験が行われた。
試験官は二人。PPL・CPLの試験とは全く違う様相だった。
朝の8時から約3時間は口頭試験が行われた。
事前のペーパーテストの成績が良かったので、そんなに突っ込まれた質問はされなかったが、会社の運営について質問された時には、困ってしまった。
正直に自分が思っている事を話して何が問題点か?
自分がコマンドを取ってどうゆう風に改善出来るのかを話したら、興味深そうに聞いてくれたので間違った事は言っていなかったのだろうと思う。
副操縦士役の試験官が右席に、私は左席に着いた。
後ろには、もう一人試験官が乗っている。
今日の状況・PAXの様子等を手短に話した後でいよいよエンジンスタート。
この異例の短期間の準備で、真っ白に燃焼するぐらい打ち込んだ成果を見せてやる!という強い闘争心みたいなものが、極度の緊張を突き破って出てきた。
僕はこの感情は非常に重要であると思っている。
私は、性格上、極度に緊張してしまう質なのだが、私はこの緊張感に打ち勝つ闘争心がある事を知っている。
今回も大丈夫。きっとうまく行く。私はそう自分に言い聞かせた。
離陸気象条件は、テイクオフミニマ、案の定、VR付近でエンジン異常が発生。
火災かそれともただのエンジンフレームアウトか?
副操縦士役の試験官と情報を交換し、フレームアウトの操作を行った。
発着飛行場に戻れる気象条件ではないので、オルタネートに向かうことをATCに伝える。
操縦桿を副操縦士に渡し、機内アナウンスをした。
ここまではいつも通りだ。
さて、次にフレームアウトしたエンジンの始動を試みるか、それとも片ハイだけで着陸するか・・・・・・・・。
オルタネートまでの距離が短いのと、気象条件がサークリングミニマ程度と悪くないので片ハイで着陸し、もしミストしてほかの空港に向かうような事があれば、始動を試みる事を副操縦士と相談する。
発動機が一つであること、飛行機自体のパフォーマンスが悪いことを、副操縦士に伝え、着陸するまでの危険性のある箇所を話し合い、解決策を見つけ出した。
エンジンストップの原因が分からぬ以上、下手にエンジンを始動させてクリティカルフェーズで再度エンジンフェイルは危険と判断したことにもある。
ところが、ここでまた問題が発生した。
アプローチをかける直前で、ライブエンジンからオイルが漏れていると客席(試験官)から報告を受ける。
燃料は片ハイの為、たくさんあるのでアプローチを取りやめ、ホールドを再度かける。・・・・・・これは困ったことになってしまった。
エンジンをシャットダウンする訳にはいかない。
でもエンジン計器には全く異常が見られない。
仕方がないので、うしろに座っている試験官にオイル漏れの箇所と状況を調べるように頼んだ。
「エンジン下部から赤色の液体が漏れている」と彼は言った。
ん?エンジンオイルは赤色だったかな?いや、薄い黄色だ。
副操縦士はエンジンと言い張った。
しかしそんなはずはない。
コックピットで意見が分かれた時は、第三者の意見を聞く。
私は急いで地上にいるエンジニアに無線でコンタクトして、赤色のオイルは、ハイドロリック系統で比較的高圧部分に使われるものだとわかった。
ああ〜そうか〜私はランディングギアのオイルが漏れていると判断した。
これは、ただ単にハンドポンプをついて足を出せばいいだけだ。
ただ、問題は片ハイでギアを出した場合、再びギアを上げる事が出来ないので、飛行機が上昇出来ない事、つまりギアを出したら、確実に着陸しなくてはいけない。
ゴーアラウンド出来ない。
ところがここでまた問題発生。
気象条件が悪化して、15分後には着陸出来る状態ではないとATCから連絡がきた。これには困ってしまった。
他に行ける空港はない。
出来れば、ギア故障の為、エンジン始動を試みたかった。
時間との勝負になってきた。
最短で確実に下ろせるアプローチを決定し、ATCに伝える。
カンパニーのプロシージャでは、必要なチェックリストがすべて終わらない限り、アプローチをしてはいけないという項目があるが、事態は急を要するので、チェックリスト、QRHをする為にホールドする事は出来ない。
私は、副操縦士に会社の規程から外れる承諾を得て、着陸した。
これで第一段階は終了した。
すぐに、再び離陸。
フライト設定を試験官がリセットし、次のフライトへ向かう。
VMCで離陸、離陸後すぐにエンジン火災の警報が点灯する。
プロシージャ通りにシャットダウンし、ATCにローレヴェルで戻る事、火災の危険性がある事を伝える。
これは教科書通りにやればいいので問題はなかった。
片ハイのまま着陸し、緊急脱出の手順をとったところで第二段階終了。
次はいよいよ最終フライトレグだった。
離陸は問題なし。
目的地まで半分の距離のところでATCから、シビアアイシング・オブサーブドの連絡が入った。
副操縦士に現在の自機のアイシング状況を確認させるが、ひどいアイシングではないという。また他機の情報から3000ft未満のアプローチ中に発生と報告があった。
会社の規程だと、この状況では目的地に着陸する事は出来ない。
他にダイバート出来る空港を探したが、燃料があまりなく、どこの空港に行くにも不可能な状況であった。
止むを得ない状況なので、再度会社の規程から外れて目的地空港に着陸する事を副操縦士に伝えた。
この時は、シビアアイシングでの着陸を試みる方法しか見つからなかった。
QRHをフルに使い、速度・姿等を副操縦士と話し合い、無事に着陸できそうだった。
しかしここで問題発生。
機長側のAHSジャイロが故障。
即座に副操縦士に操縦を任せ、副操縦士側のAHSジャイロを使って修正した。
天候の回復を待ちたいところだが、燃料がない。
強行着陸を試みる。
滑走路最終進入中1000ftあたりでまたまた問題が発生。
進入中の計器に異常が発生した。
すでにミニマ7近くでゴーアラウンドするにもパフォーマンスが悪い。
しかも燃料はゴーアラウンドするにはギリギリ持つかどうかといった量だ。
副操縦士は「ゴーアラウンド!」と叫んでいたが、今、進入を取りやめるのはさらに危険が増すと判断した。
「No!Continue approach」
議論している時間はない。私は、着陸する事を選択した。
こういう時こそ、機長のアサーティブネスが必要になる。
ミニマの機械音声が聞こえても、副操縦士は「ゴーアラウンドした方がいい」と言ってきたが、私は「Landing!」と言い、着陸した。
(着陸下限高度まで達すると計器が機械音声で’ミニマ’とアナウンスされるようになっている)
着陸した途端に後ろの席に居た試験官が小さな声で「Well done」とつぶやいたのを聞いてどっと緊張がとけた。
飛行機を下りて、ブリーフィングルームまで歩く間、2人の試験官は難しい顔をして黙っていた。
ブリーフィングルームに着くと、君の審査をするから部屋を出て行ってくれと言われた。
結果を待っている間、自分なりにフライト内容を振り返ってみた。
会社の規程を2回も犯している所が、とても気になっていた。
通常なら間違いなくフェイルである。
しかし、あの時は仕方がなかった・・・・・いや、その前何かしておくことはなかっただろうか?自問自答するが、答えは見つからない。
深刻そうな顔をしている私を心配して、周りのパイロット達が声をかけてきてくれた。何を話したのか全く覚えていない。
1時間経った頃、試験官からブリーフィングルームに呼ばれた。
部屋に入ると、1時間前まで会話もなく、難しい顔をしていた試験官達がにこにこしていた。
私の怪訝そうな顔を見て、「どうしたの?」と聞かれたが、答えられなかった。
日常会話にも答えられないほど、精神的に余裕がなかった。
部屋に入り、成績表を見て驚いた。
5段階評価でほとんどが4、いくつかは5もある。
定期テストの時は、「パーフェクト!」と言われても、3しかもらえなかった。
「悪かった所もあったけど、それより良い所の方が多かった。
おめでとう。君は試験にパスしたよ。」
心臓が爆発しそうだった。
またわけもわからず、涙が出てきた。
日本人である私が、合格率0%に近い試験を1発でパスした。
これは私にとって奇跡に近いものだった。
ついに機長に昇格した。ATPLも取得出来た。
この日が、私のパイロット人生のひとつの大きなターニングポイントになるだろう。
試験が終わってこうやって、書いてみると簡単なことの様に思えるが、実際は操縦しながら、周りの意見を聞きながら、極度の緊張感・時間・プレッシャーの中で操縦を行っている。
フライトは時間とともに常に動き、一度として同じ状況にはない。
その状況に応じて、今出来るベストの選択をする。
これがなかなか難しく、技術や知識だけではカバーしきれない。
経験や匂いを嗅ぎ分ける能力、コミュニケーション能力が非常に重要だと思った。
この能力を培うには、小型機でもPICで経験を積むことが重要な気がした。
もしこれからエアラインパイロットになろうと頑張っている方がいらっしゃれば、是非ともこのことを考えて、訓練すべきだと私は思う。
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