NEVER GIVE UP! 海外でパイロットへの道 IN NEW ZEALAND
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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡

第15話 機長業務開始 2011年〜2013 

 機長昇格訓練が終わった後、すぐに免許を更新し、定期運送用操縦士(ATPL)になった。

更新された免許を眺め、これで一人前のパイロットになったという気持ちになった。

ところが、私の免許を見ると、国籍がニュージーランドになっていた。
私は日本国籍なので、航空局のミスだと思い、もう一度作り直してもらった。
航空局の方曰く「日本人がここでATPLを取得する事は皆無なので、間違ってしまった」という事だった。

日本が二重国籍を認めてくれたら、喜んでニュージーランド国籍を取得するのだが、まだ日本の法律はそれを許さないらしい。


 機長としての初日は、オペレーションセンターも気を使ってくれたのか、簡単なシフトだった。よく飛びなれた同じ路線を2往復、しかも副操縦士は自分と同期。

しかし天候は最悪だった。
強風・タービュランス・視界不良・到着機の遅れ・・・・・

離陸時刻は予定より大幅に遅れたが、お客さんが全員席に付き、いよいよ機長としてアナウンスする時が来た。


だが極度の緊張と、自分をキャプテンと名乗るのがどうしても照れくさく、自分のタイトルを言わずに名前だけでアナウンスをしてしまった。
・・・もうちょっと機長として乗務してからキャプテンと名乗ろうと思った。

そんな私の緊張を察して、副操縦士が冗談を言って、笑わせてくれようとしていた。
こちらも冗談のひとつも言いたい所だが、顔が引きつって笑うのが精一杯だった。


まず、最初のフライトは悪天候にも関わらず、トラブルなく到着した。
慣れた路線でのフライトだったが、とても疲れてしまった。

残り一往復を飛んで、最後に下りるお客さんを見送った後で、機内の照明を切り、薄暗いキャビンの中で、私は言葉では言い表せない嬉しさというか、この10年以上に及ぶ苦労の成果がやっと実った嬉しさというか、とにかくなんとも言えない幸福感・達成感に包まれていた。

大したことではないが、英語も喋れなかった自分が、飛行機に乗ったことのなかった自分が、日本を飛び出し、ニュージーランドで日本人の自分が機長として乗務している事が信じられなかった。



その夜、家に帰ると妻と息子がいつもと同じように御飯を食べていた。
私はこの日感じたことを話したかったのだが、日常のサイクルの中に戻ると、頭が仕事のスイッチを切ってしまうらしく、今日感じた事が段々薄れていく事に気がついた。



 それからしばらくして、機長乗務にも慣れてきた。

それでも自分を「キャプテン」とアナウンスすることに躊躇していた。
理由はわからない。

機長乗務を半年続けたあたりで、上司から「トレーニングキャプテンにならないか?」と言われた。

ありがたい話だったが、とても半年間の機長経験で人に教える余裕などないと断ったのだが、「君と一緒に飛びたいパイロットが多いんだよ。新人の副操縦士と一緒に飛んで経験を積んで欲しい」と言われ、断る理由もなく承諾した。

新人の副操縦士と言っても、実機のオペレーションでの訓練についてこれるだけの技量を持った連中なので、飛行には全く問題がなかった。

ただ、毎日新人と飛ぶと、ただでさえ物覚えの悪い私なので、名前を忘れてしまったり、機内アナウンスで間違えた名前を行ったりして、彼らに悪い事をしてしまった。

彼らにはいろんなバックグラウンドがあって、その話を聞くだけでも一緒に飛ぶのは楽しかった。
小学校の先生だったとか、パプアニューギニアで飛んでいたとかパラシュートジャンプの飛行機を操縦していたとか、とにかく話が尽きることはなかった。

私が昔エンジニアだった事を話すと、非常に興味を持たれいろいろ話をした。

こんな事を書くと、「そんなに話してフライトは大丈夫?」と不安に思われるかもしれないがそうではない。

お互いの事をよく知り合う事は、CRMの観点上非常に大切な事なのだ。
だからそっけなくすることはない。

また、ステライル コックピットという会社規定があり、フライト中の会話は制限されて、会話が許されている時間に話しているので、話に夢中になって操縦がおろそかになる事はない。

 

 またある日、ちょっとしたハプニングが起こった。

目的地まであと半分といった距離のところで、機長席側のEFIS異常が見られ、それと同時にヨーダンパーが故障し、エレクトリックトリム、定圧オイルパンプ(ギア)も故障してしまった。

新人の女性副操縦士が操縦担当をしていたので、そのまま彼女に操縦を頼み、私は問題解決に取り掛かった。

トラブルが起こる前に何の予兆もなかった事、複数箇所が同時に故障する時は、だいたい電気系統がやられている事が多いが、原因がみつからない。

今度は私が操縦桿を握り、彼女に診断させてみた。
しかし彼女も原因がわからなかった。

このままではまずいので、目的地に無地着陸できるかを話し合ったのだが、機長席から着陸操作をせず、手動でギアを下ろせる事に気づき安心した。

ヨーダンパーが壊れているので急激な操作をしなければ問題はなさそうだ。

そんな事を話あった後、このまま目的地まで飛ぶことにしたが、「いや、待てよ」と思った。このまま着陸したらこの飛行機は修理するまで飛べなくなる。

機内でMELを見るとヨーダンパーの修理、定圧ポンプの修理は必須であった。


私は「最寄りのエンジニアベースにダイバートして、飛行機を直して、お客さんは代替えの飛行機で目的地まで行こう」と彼女に提案したが、彼女は「いやそうではなく、目的地にこのまま行き、エンジニアをベースから目的地に呼んだらどうだろう?」と言った。

なるほど、エンジニアベースは目的地からさほど遠くはない距離にあった。

飛行中にエンジニアに症状を無線で伝えておけば 部品をもって目的地に来てくれるだろう。うん、いいアイディアだ。私は彼女の案でいくことにした。

おかげで着陸してからすぐエンジニアが到着し、故障箇所を直し、30分の遅れで済んだ。

勤務の後、オペレーションセンターから電話があり、とても褒められた。
褒められて嬉しかったのだが、正直なところ私の手柄ではなかったので、「これは副操縦士の案だから、彼女を褒めてやって欲しい。」と頼んで電話を切った。

緊急時にベストな判断をするのはキャプテンではないことも有り得る。

だから常に自分をオープンにして相手の話を聞く事が重要な事だと再認識した日だった。

                                            続く


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