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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡
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第18話 会社異動 2013年~
系列会社に異動願いを出していたのだが、その会社から正式に面接のオファーが来た。
機長になっていたことでシュミレーター試験はなく、運行マネージャーとリクルート担当のパイロットと面談するだけだった。
英語で落とされない様に、英語の先生にプライベートレッスンをお願いして面接の準備をしていた。
面接の日の朝、一緒に面接を受ける同期とクライストチャーチに移動中の飛行機の中でいろいろな夢を語った。
このまま無事に行けば、エアーニュージーランドのジェットまであと少しだとか、面接受かって機長になったら給料がいいぞとか。夢は膨らむばかりだった。
空港に到着し、ゲートを出ると会社の運行マネージャーが出迎えに来ていた。
今までは自分達でオフィスを探していたのだが、待遇の良さに驚いた。
今回の面接には、シュミレーター試験がないので気が楽だった。
待合室に通され、以前のようなピリピリした感じは全くなかった。
私の面接は二番目だった。にこやかに始まったのが印象的だった。
質問にも無事答えられ、答える度に「good」と言われるので、「本当にそう思ってる?」と疑うぐらいスムーズに進み、45分ほどで終了した。
それから一週間はヤキモキしながら、今か今かと合否の結果を待っていた。
2歳の息子と庭でビニールプールで遊んでいる時に携帯が鳴った。
まず始めに合格した事を告げられ、「good performance だった。」と言われた。
面接前に私の下調べをしてから面接に呼んでいるので、私がどういう人間かはある程度わかった上での面接だった。
その会社は、パイロット達から評判が良く、そこでキャリアを終える人も多かった。
その時面接を受けた同期達も合格した。
みんなで一緒に新しいキャリアをスタートさせるつもりだった。
しかし、いつも通りスムーズに物事は進まなかった。
合格連絡から数週間後のある日、新会社マネージャーから連絡が来た。
現会社のキャプテンが足りないので、私の入社を一年遅らせてほしいというお願いだった。
すでに現会社のマネージャーと話していて了承を得ているとの事だった。
入社順で昇進が決まるので、たった一年がのちに大きく影響してくることを私は知っていたが、会社員の私にはどうしようも出来なかった。
まだ新会社と雇用契約を交わしているわけではなかったので、会社の決定に異議を唱える事も出来ず、一年間宙ぶらりんの状態で今の会社で飛ばなくてはいけなかった。
一緒に合格した同期が飲み会を開き、大騒ぎをしていた。
一緒に合格したのに、日本人の私だけ一年後に訓練がスタートする。
なぜ私だけ?喜ぶ同期を横目に彼らを羨ましく眺めていた。
気持ち的に滅入る状況に置かれた私だったが、経済的にも余裕が出来て、家族でニューカレドニアやラロトンガなどの島々に旅行に行き始めたのもこの頃だった。
海の青さと砂浜の白さに驚いたり、トップレスのナイスバディのお姉さん達にドキドキしたり。
ニュージーランドに来て15年経つが、こんな贅沢はしたことがなかった。
砂肝を食べて生き延びていた自分や霜で布団の表面が凍る暖炉の前で寝ていた自分と比較して、大きく生活が変化したことを、綺麗な海と白い砂浜を見ながら噛み締めていた。とても幸せな時間だった。
15年前は、緑色のスーツケース一つと、絶対パイロットになってやるという気持ちだけしかなかった。でも今は、自分の夢を叶えたし、家族も出来た。たった一年待つだけじゃないか。今より悪くなることはない。そう自分に言い聞かせて焦る気持ちを抑えていた。
異動を一年待っている間に面白い再会があった。
クライストチャーチで教官をしていた時、会社のボスにシンガポールから来ている留学生の面倒を見てほしいとお願いされた事があった。
彼は計器飛行の出来が悪く、他の学校を追い出され、ここに再入学してきて現地の教官が担当していたが、うまくいかないという事だった。
私が彼と会った時は、彼は訓練がうまくいかずに、自信をなくして元気がなかった。
試しに一緒に飛んでみた。彼は決して飛行センスがないわけではなかった。
数か所程、悪いところを直してやれば十分試験にパスすると思った。
そこで私は彼を受け入れ、日本人の学生達と一緒に勉強させて面倒を見た。
ほどなく彼は試験に無事合格し、母国に帰っていった。
その彼が私のところ遊びに来てくれた。
それも無事にA320のパイロットとして働くことになった事を報告しにわざわざシンガポールから来てくれたのだ。どうやら私に直接伝えたかったらしい。
うわさでエアラインジョブを得たことは知っていたが、こうして報告しに来てくれた生徒は彼が初めてであった。
一緒に食事をしようとレストランで会う約束をして行くと、彼ともう一人知らない男性が席に座っていた。その人は彼の上司だった。若くてとても上司には見えなかった。
私は、彼の上司から「うちで働かないか?」と誘いを受けた。
どうやら私との訓練の話を会社にしたらしく、是非私を引き抜いてほしいと彼が会社にお願いをしたみたいだった。
まさか元学生経由で仕事のオファーが来るなんて思ってもみなかった。
とても魅力的な話で、その場で「お願いします。」と言ってしまったのだが、彼らが帰ってからしばらくして、正式な面接の招待が来た。
残念な事に私にはジェット機の経験がなく、その事を伝えると、自費でA320 のレーティングを取得してくれれば問題ないと言われた。取得できる場所もこちらで用意すると言われた。
その会社に応募しても採用されるのは困難な事は知っていたので、とても悩んでしまった。シンガポールに行ったこともないし全く未知の世界だ。
私一人であれば、喜んで引き受けたのだが、「家族はシンガポールでやっているのだろうか?」と悩んで返事を保留にしていたのだが、運命とはわからないもので、しばらくしてからその会社の景気が落ち始め、この話は立ち消えになってしまった。
この件で、ニュージーランドとアジアのパイロット事情の違いを痛感した。
こちらでジェット機に乗るには最低でも5000時間はターボプロップ機で飛んだ経験を持ったパイロットにしかチャンスはなかった。
ニュージーランドの飛行機業界は狭く、パイロットの層は厚い。
競争率が異常に高く、常に飛行時間と経験で決まる。
これを私は飛行機のインフレ状態と呼んでいる。
だがアジアに行けば、私はジェット機のレイティングのない飛行時間のあるベテランパイロットに属してしまう。
これからはジェット機の経験が必要不可欠になる事は予想できたが、ここにいる限りその仕事を取るのは難しいと思った。
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