NEVER GIVE UP! 海外でパイロットへの道 IN NEW ZEALAND
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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡

 
 第3話 日本か海外か? 2000年


 日本に帰ってきて、時差ぼけが酷く、帰国直後に風邪をひいた。

当時、日本の事業用訓練費は約400万円ぐらいだった。
訓練資金を貯める為に、派遣社員として1年間働いた。

最初にインスタントカメラのオーバーホールの仕事に就いた。

私の派遣された会社のインスタントカメラはイギリス製の物を使用しており、その為、図面がすべて英語で書かれていた。

社員を含め、英語が出来る物は一人もおらず、その為、オーバーホールは図面を一切見ず、現物を見ながらの作業をしていた。

私は、英語が少し出来るのと設計の仕事をしていたので図面が読める為、図面を見ながら必要な部品も自分で設計して作っていた。

すると「君は図面が読めるのか?設計も出来るのか?」という事になり、どんどん給料が上がっていった。最後には社員になってほしいとまで言われた。

ニュージーランドへ留学していた為、英語が出来たのと以前の仕事の経験が、役立った。自分の経験がこういう形で生かされるとは思っても見なかった。

その時感じた事は、もしパイロットを目指すなら、パイロット以外の資格・技術を持っている事は大きな武器になると思った。

パイロットの仕事は本当に怖く、ちょっとの操作ミスが原因で事故を起こすし、インシデントになれば失業。メディカルが通らなければ、一生飛行機は操縦出来ない。

私は他の人より遠回りした分だけ、パイロット以外の生きる技術が身についていたように思える。

そう、二つの仕事を状況によって使いわければ良いわけで、別にパイロット1本にしがみつかなくても良い事に気がついた。

将来パイロットとして食べていければ、それで生計を立てればいい。

もしパイロットで生活がきつくなったらエンジニアに戻り、パイロットになる機会を窺う。

そうすれば理論上パイロットを諦めずにずっと追いかけられるし、エンジニアの仕事もパイロットになる為に頑張っているのだと思うことが出来るので、仕事にも熱が入るというもの。

もし年齢で飛行機の道を悩む方がいたら、こう考えてはどうでしょう?

別にエンジニアでなくてもいいんです。

仕事をしてきている人は何らかの技術を持っているはずです。
それを有効活用すれば別にパイロットになるのに悲壮的になることもないと思います。

私の生徒だった何人かも、この考え方で悩まずに済んだと言っていました。
実際にこれで日本のエアラインに就職した生徒も結構います。
(海外のパイロットはそうしている人が多く、パイロットになった後でもほかにビジネスを持っている人が結構います。)

またニュージーランドのエアラインは社会経験を持つ人を雇う傾向にあります。

エアラインパイロットといっても、普通の会社員と同じだから協調性を持つ人を好んでいるのでしょう。

派遣で働きながら、日本航空無線通信士・事業用学科試験に合格し、いよいよ日本での訓練を考えている時に、各航空会社の募集要項が出た。

なんと!ほとんどの会社で計器飛行証明が必要となっている!!
計器飛行証明は一番お金がかかる訓練で、軽く800万円はする。

金銭的に苦しい私には難しいものでした。
この金額を用意するにはかなりの時間が必要と判断。
(現在は日本の訓練所などでローンを組めるようになっているが、当時はありませんでした。)

もちろん無理な訳ではないが、早く飛行機に乗りたい感情が強かったのと、もう一つの道、すなわち海外でパイロットになる方法を考え始めていた。

そこで学生だった時にお世話になった教官に、「ニュージーランドでパイロットになる為にもう一度ニュージーランドへ行きます。」と手紙を書いた。

彼からの返事には「その時は学生としてではなく、友達として助けてやる。」と書いてあった。
知り合いも友達もいない国でこの言葉は非常に嬉しかった。

そんなわけで、ニュージーランドに再渡航する事になった。

同時に計器飛行証明の訓練も始め、その傍ら先の教官や学校のチーフインストラクターと相談して、何とかニュージーランドでパイロットになる方法を考えていた。そして2通りの方法を思いついた。

@航空会社に頼み、定期運送用操縦士(ATPL)を訓練する為、OJTで働きながら取得する方法。

これはファーストオフィサープログラムで、多額の訓練費用がかかるが、日本で事業用を取得する費用とあまり変わらなかった。
しかも成績がよければそのまま本採用になる得点がついていた。
また、日本でのATPL書き換えもこの当時は出来たので、日本でチャレンジ出来る可能性がある。

Aインストラクターで飛行経験を積み、各航空会社の入社条件を満たし、採用される方法。

通常、現地の人達がする方法で一般的。
ただインストラクターの仕事を取るのは大変な作業で多くのネイティブスピーカーを相手にエアラインジョブをもぎ取るのは至難の業。

さて、最初に選択した方法は@ATPLだった。

ところが、一番の問題はビザ。就労ビザはもちろん出ないし、学生ビザも駄目。

最低限500時間の飛行経験がないと、エアラインパイロットの保険の問題上、無理だと言われた。

そこで学校の紹介でエアライン会社に頼み、何とか500時間になるまで自費で訓練させてもらえる様に頼んだ。
しかしその事を知った日本のエージェントに、現地価格の倍額を請求されてしまった。
折角の方法を打ち砕かれてしまった・・・・・。

学生ビザも切れるのでやむなく日本に帰国となってしまった。

帰りの飛行機の中で「必ずもう一度戻って成功させてやるぞ!」という思いと、チャンスを潰したエージェントに対する怒りを燃やしていた。

日本に帰ってきた私は、ニュージーランドで同期だった仲間が日本の訓練所でトレーニングを始めたと聞き、彼らの所まで見学に行った。

しかしそこで見たものは、私が想像していた様なものではなかった。

週末になれば飲み会。
平日でトレーニングが終われば、将来の不安を周りにこぼす。
そんな愚痴をもらしたり、飲みに行って遊んでいる場合じゃないだろうと思った。

訓練費を全額、親が出してくれる恵まれた環境でやっているから、そういう事が出来るのだろう。
私にはとても羨ましい限りだったが、こういう連中が日本でパイロットになるのかと思ったらとたんに暗い気分になった。

航空学生・航大・日本のエージェントの妨害・同期の姿・・・・・。

今まで私は最大限の努力をしてきたつもりだったが、日本ではパイロットになるチャンスを与えてくれなかった。
これからもきっとそうだろうと思った。
それならば自分にチャンスを与えてくれるところで頑張ろうと決意。

Aの方法を選択した。

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