第7話 寅は死んで皮を残す
昔、設計の仕事をしていた時、尊敬する上司がよく私に説教していた言葉の中に、(当時は説法と呼んでいましたが・・・・)「男で生きていく為には、良い仕事をしなければいかん。しかも「男の履歴書」に書き残せる仕事だ。
その仕事は後世に残るものでなくてはいかん!」と。
そして次に決まって、こうつながる・・・・・
「寅は死んで皮を残すが、人は死んで名を残す。名を残すには後世に残る仕事をしなければいかーーーーん!!お前はそんな仕事をした事があるかー?」
私は、この元上司に対し「誇れるものが3つあります」と答えたい。
@日本での会社員時代に、自分が設計した試作品が会社内外から評価され、それを応用したものが現在も世に出回っている事。
AIAANZでベストインストラクター賞を貰った事。
B自分の生徒達が夢であるエアラインパイロットになり、IAANZで日本人教官の雇用チャンスを広げた事。
以上。自己満足かもしれないが、私は満足しています。
ベストインストラクター賞は、その年で一番学校に貢献したインストラクターに送られるもので、この賞をもらったのはインストラクターを始めて3年後の事でした。
その当時の私は非常にフライトで忙しく、航空法ギリギリまで毎月飛行していた。
20人近くいるインストラクターの中で一番長く飛行していた。
これはもちろん、私自身のステップアップの為に飛行時間を稼ぐ目的もあったが、それよりも生徒に教えるのが面白かった。
着陸出来なかった生徒が数日後には出来ている。
死んだ魚のような目をしていた生徒が、「やっと出来るようになりました。」と嬉しそうにキラキラ目を輝かせて自分に言ってくる。
私の拙い教習に生徒が本当によく答えてくれていました。
生徒のフライトテストの時は、私も毎回ドキドキしていました。
試験官から合格・高評価を貰えた時は、本当に嬉しく、また不合格になったら、本当に悔しかった。
時々生徒より自分の方が悔しかった事もありました。
ちょっと話はそれますが、日本人に多く見受けられる特徴として、フライトテストの時緊張する生徒が多いです。
これはたぶん日本の教育制度のせいだと思います。
ちなみに現地人に「俺、今からテストなんだ」と言うと、「enjoy your test!」と返事が返って来ます。
日本の教育の中に、テストをエンジョイするという発想があったでしょうか?
私は初めてこの言葉を聞いた時、衝撃を覚えました。と同時に、テストを楽しむ考え方に頭が切り替われば、緊張も少しはほぐれると思いました。
皆さんもこれからテストを楽しむようにしてみたらいかがでしょうか?
さて話を元に戻します。
しかしある日、無理な飛行が祟り体調を崩してしまいました。
それと同じ時期、新しい日本人インストラクター(八木)が誕生しました。
彼はインストラクターに成り立てだったが、彼の持っている知識・情熱が素晴らしく、何人かの生徒を担当してもらい、自分のフライトを減らし、体調を整えた。
結果的にこれが功を奏し、二人で教習することでさらに日本人生徒を呼び込める様になり、学校内でも一目置かれるようになった。
また、細かく指導することを信念としていたので、これに共感し、後をついてくるインターナショナルの生徒も増えた。
これがきっと学校に理解されたのだろう。気づいたらベストインストラクター賞を貰っていた。
私が最初に学校へ来た時、ひどい言葉を浴びせられ、相手にもされなかったが、やっと自分の存在が学校に認められた事が非常に嬉しかった。
またニュージーランド社会において、日本人として現地の学校に貢献出来た事も嬉しかった。
またこの頃は、卒業生達が日本の訓練所でトレーニングを始め、日本の訓練所からの評判が出来、黙っていても生徒が集まるようになっていた。
私は、飛行に対する取り組み方、ベーシックな基本操作は最初の段階が非常に重要だと考えている。
これが後々、日本での訓練・エアラインでの訓練で必要不可欠になり、訓練の後に行けば行くほど、最初に身についた悪い癖は抜けなくなるからだ。
だから、学校にくる生徒にはこの事を重点的に指導している。
現在は八木インストラクターを中心とし、さらに2名の日本人インストラクターが誕生した。
しかしもっと良い教習が出来るようにさらに日本人インストラクターを増やしたいと考えている。
また彼らが将来、私の後に続いてニュージーランドでエアラインパイロットとして活躍する日がくるのを楽しみにしている。
学校の一室に日本人専用の部屋があります。
そこの壁には今までの学生の名前と就職先・訓練先などが写真とともに飾ってあります。
この間、訪れた時さらに多くの自分の夢を叶えた生徒達の写真が飾られたあった。
嬉しかった。
写真を見ながら、私は今まで自分の夢だけでなく、これだけ多くの生徒の夢も同時に叶えてきたんだな〜としみじみ思いました。
本当は自分がパイロットになろうと頑張っていたのに、いつの間にか生徒達が自分を追い越し、パイロットとして活躍している。
日本の航空界に一矢報いた感じで嬉しかった。
私の教えた技術がちゃんと通用しているという実感も大きかった。
これからも自分が学んだ新しいものをどんどん後輩・学生達に伝えていきたいと思う。
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