NEVER GIVE UP! 海外でパイロットへの道 IN NEW ZEALAND
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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡

 第8話 ニュージーランド航空界大不況 2005年〜2007年



 ニュージーランドのエアラインの数は非常に少ない。

 1.エアーニュージーランド(フラッグシップ)
 2.エアーニュージーランドリンク(国内ローカル線3社)
 3.カンタスニュージーランド
 4.パシフィックブルー

 5.ジェットスター

チャーター系のエアラインには、エアーナショナル・ビンセントアビエーション・エアーチャダムなどがある。

以前は、オリジン・パシフィックやアンセットニュージーランドなどがあったが、これらの会社は倒産した。

さて、ニュージーランドのパイロット需要はエアーニュージーランドに大きく影響される。
エアーニュージーランドは国内線チャーター会社や特にエアーニュージーランドリンクから最もパイロットを雇う。

そして抜けていくパイロットの穴を埋めるように国内線チャーター会社・エアーニュージーランドリンクはGAのパイロットを雇う。

つまり、エアーニュージーランドがパイロットを大量に採用している時が就職するチャンスなのである。

私がニュージーランドにいる10年間の間でパイロット景気の波は少なくとも3回あった。

この景気を素人が読むことは不可能だ。

新聞やネットなどのメディアには絶対載らない情報だし、載ったとしてもすでに景気が終わっている頃である。


第6話にも書いたが、私も教官としては最後のステップまで到着し、2005年には各エアライン・チャーターエアラインの応募要件まで飛行経験が達成したので、航空会社にCV(履歴書)を出し、連絡を待っていた。

2006年にオリジン・パシフィック航空の面接を受けて、グランドコース待ちの状態だったがその矢先、突然の業務停止の連絡。

気をとりなおし、自分のCVを更新し、航空会社からの連絡を待った。

しかしどこからも連絡は来なかった。

それもそのはず、オリジン・パシフィックのパイロット達も同時期に就職戦線に並んでいたのだった。

もちろんエアーニュージーランドやリンクは、彼らを優先的に雇用し、GAパイロットは長い間日の目を見ることが出来なかったのである。

オリジン・パシフィックのパイロット雇用が落ち着くと、GAからポツリポツリと面接に呼ばれるようになった。

この時点で私の飛行時間は3000時間を突破し、通常であればすでにエアラインで働いていてもおかしくない時期である。

しかし私には連絡は来なかった。正直焦っていた。

痺れを切らした私は、エアーニュージーランドリンクに「どうして面接に呼ばれないのか?」と電話をした。

「君の応募書類を審査しているところだが、日本人を雇う事に不安がある。
しかしうちのパイロットの多くが君を知っていて、彼らが君を推しているから、是非一度会いに来てくれないか?」と言ってきた。


もちろん私は承諾し、2日後に会社まで行った。

そこで採用担当者と管理職の二人に会い、色々な質問を受け、話し合いは約3時間にも及んだ。

簡単な内容がほとんどだったが、文化の違い・言語についてなど・・・・・中には非常に答えにくいものがいくつかあった。

それでも最後には今度面接を開く時は必ず招待するからぜひ参加してほしいと言われた。

そして翌月、その会社の飛行機が1機事故で長期メンテナンスに入った為、パイロットがだぶつき、半年待っても面接の連絡は来なかった。

同じ頃、IAANZのインストラクターが「リンクの面接を受けることになった」と言って来た。

彼は私より飛行時間も経験も少ないのに、面接に招待された。

納得いかない私は、採用担当者に電話を入れた。

「○○○さん、お願いします。」

「彼女?彼女なら辞めたわよ。採用担当者も変わったわ。」

新しい採用担当者の方に電話を回してもらうように頼み、彼には私が半年前にそちらで約3時間もの間、管理職の方と前の採用担当者と話をした事を伝え、「私の面接はいつですか?」と聞いた。

「そんな事があったの。それは知らなかったよ。でも、君のCVここに無いよ。たぶん前の担当者が持っていったんだろう。悪いけど、もう一度CV出してくれる?」

この言葉を聞いた時、がっかりしたというよりは、「やっぱり日本人がパイロットになることは不可能なのか?」と投げやりな気持ちになった。

それでもCVを再度送り、連絡を待った。でも連絡は無かった。

さすがに待ちくたびれた。

しかし、そのネガティブな精神と裏腹に私は身体を動かし行動出来た。

「パイロット景気になれば必ず自分にもチャンスは来る」

パイロットを諦めない限りチャンスは来ると信じ、教官としてフライトを続け、航空会社にCVをアップデートしてきた。

当たり前の話だが、いくら頑張ってもエアライン会社がパイロットを雇わなければ、就職できないわけで、腕が良かろうが悪かろうが関係ない。

パイロット景気は必ず存在する。
今、景気が悪くても来年にはいきなり良くなる事もある。ただこの景気に合わせて準備するのは不可能であることに気づいた。

パイロット景気が来た時の為に、常日ごろから情報の網を張り、自分に磨きをかけておく。
特にパイロット景気で無い時に、如何に自分に磨きをかけてきたか?これが重要な事だと思う。

とても辛く、明かりの見えない道だが、身体だけは前に動かして行かなくてはいけない。

それが少ないチャンスをものにする秘訣だと思う。
                                           
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