NEVER GIVE UP! 海外でパイロットへの道 IN NEW ZEALAND
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「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡

 第19話 トレーニング開始 2015年~ 

 約1年待って会社を異動する日がやってきた。
その日は、本社のあるハミルトンへ、exit interviewを受けに行った。

重役室をのぞいたら、入社試験以来顔を見たことがなかったマネージャーがいた。
私に、圧迫面接をした面接官だ。
勇気を出して、ドアをノックした。少し世間話をして、「頑張れよ。」と言われた。
面接の時に彼に質問されたことがある。
「5年後どうなっていたい?」
「キャプテンになりたい。」と答えたのを覚えている。
結果的にはそうなったなと思っていた。

辛い事もたくさんあったが、私にエアラインパイロットとしてのチャンスを与えてくれた会社だった。機長昇格試験の時には苦労したが、私にも機長になるチャンスをくれたし、多くの友達も出来た。チェックキャプテンとの件で、自分の存在価値を認めてもらえたことも大きかった。

退社手続きの書類を記入している時に、いろいろ思い出してふと手が止まった。
次にステップアップの為すっきり退社出来ると思っていたが、頭の中を思い出が巡って、もうちょっとこの会社に居ても良かったんじゃないかと思いだしたり、何とも不思議な感覚になった。
それでも書類仕事を終え、オフィスを出ようとした時、外の喫煙所から私を呼ぶ声がした。オペレーションセンターのおばちゃんだった。
彼女はいつも俺に電話をして来て、お願い事をしてくるのだが、「あなたのOPSよ~♡。(オペレーションセンターの略)」と甘えてみたり、そうかと思えば、「もう一往復で飛んでよ。」とガミガミ言ってきたりと、名物おばさんだった。しばらく世間話をした後で、「お前も去っちゃうのか。」と寂しそうだった。

オフィスを出る時に記念品をもらった。名前と飛行機のイラストと勤続年数がプリントされたビールジョッキだった。そのジョッキは今でも大事に使っている。


それからすぐクライストチャーチに引っ越しした。

着いて早々会社のグランドコースが始まった。
パソコンで勉強出来るようになっており、初めの2週間は、会社のオフィスで4人とグランドコースをスタートした。
自分のペースで勉強出来るので、毎日の様にテストをする感じではなくやりやすかった。また私の場合、すでにエアラインでの経験があったので、苦労なく次の飛行機に移行できた。ただ1人、チャーター機を運航している会社から入社してきたパイロットがいて、今まで1人で飛行機を操縦しており、授業についていけず苦労していた。

今まではエアライン経験のないパイロットが入社して来ることはなかったのだが、ここ数年でパイロットの供給と需要のバランスが崩れ、GA(エアライン経験のないパイロット)も直接入社出来る様になっていた。

だがこれはいろいろな問題を抱えてしまったようだ。
今までは、エアラインで飛行経験があるパイロット、しかも機長経験のある人しか採用しなかった会社だったので、グランドコースの授業内容やトレーニング内容が、初期の頃に習うものはすべて省かれているので、GAから入社してきた人には難しすぎた。

学科講習が終わり、シュミレータートレーニングに移った。
全部で11セッションあり、1セッション4時間。
1つ1つのシステムを実際に動かしてみるというのが主な内容だった。

今まで乗っていた飛行機は、小型機も含め、故障したらそのシステムをカバーするのにスイッチを入れたり切ったり忙しかったのだが、今回の飛行機はエアバス系統の飛行機で、故障しても機内にあるコンピューターが勝手にシステムをカバーしてしまうのには驚いた。人間が入り込む隙間がないのだ。

以前に聞いたことがある。
ボーイングのクルーはエアバスのタイプレーティングに苦労すると。
基本的なシステムの構築や考え方に大きな違いがあるのだ。
オートパイロットやFMSのマネージメントも私は初めての経験だった。
ただそれを単体でみてしまえば、簡単な代物なのだが、ちょっと取り扱いを間違えると命取りになるのだ。
オートパイロットで飛ぶからパイロットの仕事なんて必要ないという人がいるが、果たしてこれをみて同じことが言えるだろうか?やはりそれを扱うのはパイロット自身で、そこにうまいとかへただとかが出てくる。

最後のトレーニングセッションも終わり、シュミレーター試験を受ける日が来た。

私のバディーは、例のチャーター機会社から入社したパイロットだった。
私が機長席に座り、彼からチェックが始まった。
クライストチャーチからウェリントンへのフライトを想定して行われた。
ただ彼は、2人で飛行機を飛ばした事がなかったので、最初から躓いていた。

離陸する直前でバードストライクが原因のエンジンフレイムアウト。
とりあえずふらふらと上昇し、エンジンシャットダウンのプロシージャーを取る。
チェックリストを行い、管制塔に緊急状態を宣言するところまでは、会社の規定通りだった。
ただ彼はその後どうしていいのかわからず、私に聞いてきたので、「レーダーベクターでILSにインターセプトして着陸飛行場に降りよう。」というごく当たり前の提案をした。
彼にオートパイロットを入れるように頼み、すぐに着陸できるよう、FMSや機内アナウンス、キャビンクルーへの通達などを済ませておいた。
何事もなく下せる予定だったが、視界不良でシングルエンジンでゴーアラウンド。
彼はそれが予想出来なかったらしく、ゴーアラウンドのプロシージャーが滅茶苦茶になってしまい、私はそれをカバーしようとしたが、そこで試験官に試験を止められ二人共失格した。その後も彼へのトレーニングが続き、私の試験も出来ないままその日を終わってしまったのだ。

この審査内容は、実際にエアラインでの経験がないと太刀打ち出来ない。
彼は審査に失格したことで泣き始めていた。
翌日、会社のトレーニングマネージャーに呼ばれ昨日の話をした。
「GAから上がってきた人は出来ないのが当たり前だから、心配しなくていい。我々は努力する人は絶対にクビにしないから。」と言ってくれた。

ほっとしたのだが、私は彼の巻き添えを食って試験に失格してしまった。
もう一組の方は難なく試験にパスしていた。

彼は申し訳なさそうに謝ってきた。
連帯責任で私まで失格扱いされた事に納得はしていなかったが、彼はあの場で最大限の努力をしたし、また救えなかった私も反省するところはあった。その場で作戦会議となった。再試験まであと1セッションしかない。あと1回しか練習出来ない。時間がないので、パソコンのマイクロシュミレーターで練習することにした。
コールアウトやプロシージャーには問題はなかったが、IFRの知識が乏しすぎた。
私が教官をしていた時の生徒達よりひどかった。
そこで、私は学生に話すように1からIFRの説明をした。
1週間後には、だいぶんうまく出来る様になっていた。
さすが、飛行機に乗りなれているだけの事はある。
最後のシュミレーターの練習もうまくいき、これならうまくいきそうだと2人で喜んでいた。

そして再試験当日。審査内容は、基本的な操作に加え、V1カット、エンジン火災、サークリングアプローチ中のシングルエンジンゴーアラウンド、急減圧、キャビン内スモークなど盛りだくさんだったが、彼は試験をパスした。その後、私も無事に試験をパスした。

試験後、彼にお酒を奢ってもらった。

今回の事で新しいことを一つ学んだ。
今までの会社の同僚は、自分と同等かそれ以上の経験を持っていたので、いろいろな事を頼むことが出来たし、難しい判断を迫られた時は相談し合い、またこちらが間違えればすぐに指摘してくれたし、会社でもそういう風にトレーニングを受けて来た。

しかしこの会社で一緒に飛ぶ人は決して自分と同じ能力・経験をしておらず、これは自分が機長になった時に大きな問題になる様な気がした。私がエアラインに入社した頃はみな3000時間ぐらいの飛行時間を持っていた。しかしパイロット不足の今、GAとして入社してくるパイロットの飛行時間はせいぜい1000時間もしくは500時間ぐらいである。



NZでは、飛行機の機種が変更になれば、副操縦士からやり直しで、日本の様に機長から機長へ移行することはない。私はまた副操縦士として飛行することになった。


初フライトの時の事は今でも覚えている。
クライストチャーチからロトルア便。ロトルアは温泉の町でたくさんの日本人観光客が訪れる場所である。その日も多くの日本人が搭乗していた。
初めての実機で日本人も多く乗っている。失敗出来ない・・・・・・が、いきなり初日からしくじった。着陸がハードだった。今までこんなに恥ずかしい着陸はしたことがない。
隣にいるトレーニングキャプテンの顔を見たら、にやにやしながら「A bit hard.
But well done.Don't forget to flare.」と言ってきた。

この飛行機は、ウィングスパンが大きく、また設定されているアプローチ速度がかなり失速速度より早く設定されているので、フレアをかけるとフローティングを起こしやすいのをシュミレーターで覚えていたので、わざとフレアを少なめにした。
それがあだになった。実機とシュミレーターだと全く違う。いい経験だった。

この会社はパイロットのターンオーバーが非常に少ないことが有名で、機長になるにはさらに最低6年以上通常10年かかると言われていたのだが、このところ急激な機材増加と北島路線の増加などで、キャプテンが不足しており、トレーニングキャプテンから「機長になる準備をしておきなさい。」と路線審査が終わった段階で言われた。


                                           続く

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