|
|
「パイロットになりたい」と日本を飛び出し10年目にして夢を掴んだ男の軌跡
|
|
第5話 ビザの問題 2002年〜
教官試験合格後、一旦、学生ビザをワーキングホリデービザに切り替え、就労ビザ取得に乗り出した。
以前からビザについては研究していたので、いきなり永住権をを取得する事は不可能である事は知っていた。
最低限一年以上の就労経験が必要だった。
就労ビザを取得するには、雇用先からジョブオファーのレターを貰い、病院で健康診断を受けてそれを移民局に提出すれば良い。
(出来れば自分の持っている資格とマッチしていればなおさらよい。)
こんな簡単な事だが、学校からジョブオファーを貰うのが実は一番大変だった。
学校は最初にパートタイムのジョブオファーをくれたのだ。
ここで働いているフルタイムの教官は皆、最低一年以上パートタイムで経験を積んでからフルタイムのジョブオファーを貰っていた。
彼らはニュージーランダーでビザの問題がないので、パートタイムで働けるが、私の場合、就労ビザを移民局から貰うには、フルタイムのポジションが必要だった。
パートタイムではビザは下りなかった。
しかも、当時ワーキングホリデービザは、同じ雇用主の元で3ヶ月以上働いてはいけない規則になっていた。
これには正直参った。
仕方がないので、当初の計画通り、学校に認めてもらえるように、自分の生徒を作るように心がけた。
パンフレットを作りクライストチャーチ中の英語学校に配り歩いたり、学校紹介のホームページを作り、インターネット上にアップした。
当初の予想以上に反響が良かったのだが、本格的に生徒が集まるのに約一年を要した。
集まってきた学生は私と同じ夢を持っているので、自分に出来る事は無料で何でもした。
ホームステイの手配やフラット探し、学生ビザ申請の書類を揃えるなど、フライト自体より忙しい時が多かった。
フライト教習自体も少しでも分かりやすくする為に、上級の教官にアドバイスを貰ったりして、自分の技量向上に努めた。
始めはフライトの仕事は本当に少なく、酷い時は1週間に1時間ぐらい。
もちろんお金にも困った。
フラットも週25ドルという場所に住み、生活費用を極力抑えた。
フラットと行っても部屋ではなく、家の通路にカーテンを張り、そこに住んでいた。
そこには暖炉があったが、冬になるとこれが曲者で、火が消えたとたんに、寒気が煙突から入り込み、朝、目が覚めるとよく布団カバーに霜がはっていた。
食事もお肉を買うお金がないので、それに近いような食感の水団子とかを混ぜたり、肉屋に行って、鳥の砂肝など現地人が食べずに廃棄してしまう臓物系を安く譲ってもらったり、無料で貰ったりしていた。
そんな超貧困生活だったが、その時は楽しく、特に悲壮になることは無かった。
パイロットになる為に頑張っているという信念もあったし、周りの人達もいろいろ助けてくれたりした。
また、そんな生活がものめずらしいのか、いろんな生徒達が遊びに来てくれ、いつも本当に楽しかった。
今でもその当時の学生と会うとこの時の話をして盛り上がったりしている。
しばらくすると何人かのレギュラーの学生を持つようになった。
また、現地の学生から逆指名フライトも増えてきたので、学校にパートタイムではなくフルタイムのポジションをお願いした。
しかし、学校の答えはNOだった。
理由は、フルタイムの教官になるには1年間パートタイムで経験を積まないと駄目。
今まで皆、そうしてフルタイムの教官になっているので、例外は認めないという事だった。
しかし、私はそれでも食い下がった。
就労ビザが取得出来なければこの学校に残る事が出来ない事を強調したが、受け付けてもらえなかった。
にっちもさっちも行かなくなった私は、エアーニュージーランドのおじさんに相談した。
「んー?そんなの簡単だよ。お前、ジャガータイプBの写真持っているか?」
「えっ?ジャガーの写真???」
「そう。その写真を一枚用意してくれ。後は俺に任せろ。」
何で車の写真が関係あるのかよくわからなかったが、とりあえず用意して後日おじさんに渡した。
「これから校長のところに話をつけに行くぞ!」
一緒に校長の部屋に入るとおじさんは親しげに世間話を始めた。
やがて私の話になった。
「んー。こいつはパートタイムだと移民局から就労ビザがおりないんだ。だからフルタイムに切り替えてやってくれ。」
「・・・・・・・・・・・・駄目だ。」
「この日本人は、この学校の為に、ホームページを作ったり、町でパンフレットを作って配ったりして自分で学生を集めてきているんだぞ。
他の教官を見てみろ。何もしてないじゃないか。
彼は学校の為に奮闘しても給料も貰えずに、鳥の砂肝しか買えないんだぞ。
彼がフルタイムの教官で働くのは当然だろ?
彼は今パートタイムだけど、すでにレギュラーの学生が3人居て、現地の学生からも逆指名が来ている。十分フルタイムのポジションに値する。
しかも学校の事もよく研究しているよ。」と言いながら、例の写真を取り出した。
「ほら、君の好きな車の写真だ。こんな事まで知っているぞ。」
その時、部屋にいた皆が笑った。
驚いた事に、なんとそれでフルタイムのポジションを得る事が出来た。
まさか、砂肝とジャガーの写真で仕事が来るとは予想もしていなかった。
鳥の砂肝は日本では焼き鳥屋のメニューにもなっている食べ物だが、ニュージーランドではキャットフードだった。
砂肝を食べていると言った時、校長は驚いて完全にひいていた。
私は日本に居た時から、砂肝のこりこりした食感が好きだったのだが・・・。
自分ひとりでは何ともならない状況だったが、知り合いに相談する事でこんなにも簡単に問題が解決出来てしまった。
後から知った事だが、その校長は昔、おじさんの生徒だったらしい。
言語・文化になれていないせいもあるが、人種の壁を感じた瞬間でもあった。
こうしてフルタイムのポジションを得て、移民局に就労ビザを申請した。
しかし今度は移民局との戦いになった。
「なぜ日本人がここでインストラクターをしなければいけないんだ?」
「日本人の学生がいるから、日本人のインストラクターが必要なんだ。」
「ここへ来るぐらいだから、彼らは英語出来るんだろう?現地のインストラクターで十分じゃないか。飛行機に日本人はいらない。」
そう言ってビザを発行してくれなかった。
それから毎日移民局へ通う日々が続いた。
大勢の人がビザを求めて来るので朝の5時から移民局の前で並んだりした。
それでも前から10人目ぐらいだった。
やっとの思いで取得したビザはたった3ヶ月間有効だった。
それから3ヶ月ごとに移民局へ出向き、更新の度に移民官と喧嘩をしていた。
(現在はIAANZで外国人がインストラクターとして働く場合、移民局からスムーズに就労ビザが下りる様になりました。)
就労ビザ取得後、しばらくしてから永住権申請の準備に取り掛かった。
ニュージーランドの永住権申請には以下のポイントが重要になる。
@1年以上のパイロットとしてのフルタイムポジションのジョブオファー。
A自分の持っているパイロットのライセンスが最低短大卒と同様の資格であると
ニュージーランド資格審査機関(NZQA)から認められる事。
Bパイロットとして最低1年以上フルタイムで仕事をしてきたという証拠。
就労ビザを取得しているので@については問題はない。
Bも学校からコントラクトを貰ってそれを提出すればいいのでこれも問題はない。
AについてはNZQAに必要書類を提出し有料で審査してもらう必要がある。
私の場合、事業用ライセンスと計器飛行証明と教育飛行証明をNZQA認定校で取得していたので問題なく短大卒と同じ資格と認められた。
これはこれからニュージーランドでパイロットを目指す人には重要になるのだが、NZQAの認定を受けていない学校でライセンスを取得してしまうと、短大卒の資格と認められないことがあるので注意した方がいい。
また他の国からライセンスを移行する場合も同じケースとなるので注意して下さい。
つまり、ニュージーランドでライセンスを取得し、NZQAが認めるパイロットに関する学歴があった方がビザにおいて有利になるという事です。
上記書類と他必要書類を提出し、2005年に永住権を取得する事が出来た。
この時は本当に嬉しかった。
これでやっと、ビザの心配をせずに仕事が出来ると思った。
どこのエアラインも永住権保持者でないと応募すら出来なかった。
今までたくさんの日本人が海外でパイロットになろうとして失敗したケースを見てきたが、ほとんどの場合、この永住権が取得出来なかった為であった。
しかし、私はこれによってやっと応募条件の一つをクリア出来た。
次ページへ
|
|
|
|